【ジャズボーカルちょっとトーク】外国語で歌を歌うということ。

歌詞を歌う歌手、歌詞を持たない楽器プレイヤー

サックスプレイヤーの鈴木学は、時たま 「やっぱり人の声にはかなわない」とか、 「ヴォーカリストは歌詞があっていいよね」 と、こぼすことがあります。

でも、逆にヴォーカリストは 歌詞があることに甘えてないか? と思うときがあります。

 

主人の鈴木学と同じステージに並んで立っていて、 横でメロディーラインやアドリブを演奏しているのを聴いていると、 「チキショー、今、私コイツに負けてる」と悔しい思いをする瞬間が多々あります(笑)。

 

インストゥルメンタリスト(楽器奏者)は 歌詞を歌わないので、 その分音楽的表現能力が研ぎ澄まされていくのですね。 見習わなければならないところです。(例えばジェフ・ベックなどは、ギターだけで歌手なんかよりもずっと饒舌に歌っていますよね)

 

日本人の根深い英語コンプレックス

日本人がジャズやポップスやロックを歌う場合、 外国語で歌を歌うということを音楽性が未熟なことの 隠れ蓑にしていないだろうか?

外国語で歌を歌うこと自体に満足して、 楽器演奏者が普段頑張っているような、 音楽的鍛錬を自分に免除していないだろうか? 自分を甘やかしてはいないだろうか?いつも自問自答しています。

 

とはいうものの、かつて『日本人離れ』、『バタ臭い』などがポジティブな形容詞として用いられていたことを踏まえると、まだまだ日本人の英語コンプレックスは根深いものがありますね。 私も子供の頃、日本の昭和30年代の懐かしい映画を見ていて 雪村いづみが英語でペラペラしゃべったり歌ったりしている場面をみて 圧倒されましたもん。 当時これを映画館で観た人の衝撃は如何ばかりか、と思いました。(因みに、当時の歌手は日本語の歌を歌う前に、ジャズから先に勉強していたそうな) 

 

だからと言って日本人が英語で歌っているのが何かすごい、と今の時代になってもやみくもに畏敬の念を感じるのは、どこかおかしいですよね。 

英語で歌うことは単なる『お口の筋肉運動』ではありませんよ!

母国語の日本語で歌を歌うのであれば、 情景を推察したり、情感を込めたりすることに思いが至るのに、 英語で歌を歌うとなると、単なる正しい発音をするための、 口の筋肉運動に終止してしまいがちです。

 

しかし、英語だろうと日本語だろうと、 言葉のパワーは同じ。どちらにも言霊が宿っているはず。 特に歌詞は、プロフェッショナルな作詞家による、 練りに練り上げられたミニマムで緻密な作品。 気持ちがスルーして良い言葉はどこにもありません。

 

文化の違いはしょうがない。 でも、日本人だったら、異文化を理解し、 時には魂のレベルで共感することができるんじゃないか?

そう考えれば、英語にたまたま節が付いたものが、 筋肉運動によって順番通りによどみなく 口から出てきたことで満足していては、 そこから更なる発展や感動はありえないのではないか?

 

中には、CDで聴いたアメリカ人の有名歌手の英語をマネして歌っただけで、 「私はバッチリの英語で歌ってる」という人もいれば、「とりあえず英語で歌ってりゃジャズでしょ」みたいな人もいます。

 

でも、何か、これはおかしい気がするのです。 だってネイティブがこういう人たちの歌を聴いたらどう思うんだろう? という疑問が全く解消されません。 日本人にしか聴かせないつもりなのでしょうか?せっかくジャズというルールさえ分かっていれば言葉が通じなくても世界中どこでもジョインできる素敵な音楽ジャンルを学んでいるのだから、たとえ極東の中都市にいたとしても、世界規模の広い視野を持とうと心がけたいものですね(勿論、レベルの話ではなく、気持ちの話です。それに軒並み外国人は楽しみの為に音楽をやるときは、『うまい』『ヘタ』はあまり気にしません)。

外国語で歌を歌うことはは手段であり、目的ではない。

そもそも、外国語で歌うのは表現手段の一つであって、 目的ではないはず。 それっぽく歌えればそれでゴール、ではありませんよね。 ここから先は無限のクリエイトの世界が待っています。

 

当教室のヴォーカルの生徒も、 ある程度歌える段階になると、必ずこの問題に直面します。

「じゃあ、どうやって歌ったらいいの?」 実は私もこのことに対して明確な答えを 生徒に示せていません。

 

しかし、ある歌が生身の『私』の身体を通り、『私の声』となって聴き手に伝わるのは間違いないのです。そこに何の感情も介在しないなんて、『私』が生きて活動している限りあり得ないことですよね。私はその歌の中で泣きたいのか、笑いたいのか、怒っているのか、それがたまたま外国のメロディーと言葉で表されるだけです。きっと聴き手にも何かが伝わるはずです。

だから、筋肉の作業よりも、歌うことで呼び起こされる感情や感覚を大事にしてほしいのです。

 

2012年1月3日 ブログより転載・加筆