評論家をはじめ、ジャズを聴く立場の意見はたくさんあるかと思いますが、末席に座らせていただいているものとして、同じボーカリストの視点から歴代のジャズボーカリストを検証してみました。過去の偉大な歌手達の足跡をたどることは、ジャズボーカルのお勉強にも繋がりますしね。
というわけで、今回は『The First Lady of Jazz(ジャズのファーストレディ)』と呼ばれた、エラ・フィッツジェラルドについて書かせていただきます。
生い立ちやら作品群などの一辺倒の経歴については、ウィキペディアなどにお任せするとして…。
『勤勉』なジャズボーカリスト、エラ・フィッツジェラルド
エラ・フィッツジェラルドは、とにかく勤勉だった人という印象です。
当時の黒人女性としては(完全な社会的弱者です)、ビリー・ホリデイに負けないくらい悲惨な子供時代を過ごしていたエラですが、彼女の気質である、この勤勉さが彼女を救ったのだと思います。
しかし、彼女の完璧なスキャット(いわゆる曲中でダバダバ言っている部分)や歌を聴く度に、私はいつも『越後獅子』を思い出してしまいます。 これをすることでしか生きていく術がない人が、一心に芸を磨く姿。完璧を求めて、懸命に練習を重ねた人の歌だと感じました。
本来ジャズボーカルは、(ジャズの楽器奏者にとってジャズ演奏がそうであるように)スキャット部分もアドリブ(即興)であるべきですが、エラの場合は、練りに練った隙のないスキャットを、まるで初めて人前で披露するかのように歌うのが凄いところです。
だいぶ昔の話でうろ覚えなのですが、某テレビ番組で故岡田真澄氏(ファンファン大佐)が、昭和のグランドキャバレー華やかなりし頃の話をしていて、その中でエラ・フィッツジェラルドが来日した際、とある有名なキャバレー(昔は大人の高級な社交場だったのですよ)で、ステージをつとめた時のことを話していました。
ステージから降りてきたエラがカーテンの隅っこで、大きな身体を小さくして震えながら「お客さんの反応はどうだった?」としきりに気にしていた、というのです。この話の真偽のほどは分かりませんが、エラの性格をとてもよく表しているエピソードだと思いました。
常に『完璧な商品』を提供することを求められていたエラ
エラは、(白人による)優れたマネージメントのお蔭もあって、まだまだあからさまな差別の多かったアメリカのエンターテイメント業界で、確実に他のジャズミュージシャン達と違う待遇で、大劇場で歌い、相当のギャラを手にし、白人歌手並の頻度でテレビ出演もするメジャーな歌手でした(それが証拠に、YouTubeを見ていてもエラのパフォーマンス映像は他のジャズ歌手と比べると断トツに多いですし、没した地は何とビバリーヒルズでした!)。
(余談ですが、エラの歌に惚れ込んだマリリン・モンローがエラのライブに一定期間毎晩通い、そんな自分を敢えてマスコミに晒すことでエラのキャリアの手助けをしたエピソードはとても有名です。それがきっかけとなって、エラの歌う場所は小さなクラブからメジャーな演奏会場へ変わっていったとのこと)
従って、エラは常にレコーディングクオリティとほぼ同等の『傷のない』完璧な商品を提供することを求められていたと考えられます。
エラの歌は、ジャズの即興性から少し外れていたかも知れません。だからといって即興に弱かったわけではなく、ジャムセッションのような即興演奏の場では当たり前に即興でスキャットしています。つまり、お約束事も即興も想定内。とにかくオールマイティな歌手だったのです。
『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』3種を、聴き比べ
まず最初に、ライブ作品の名盤と言われている『エラ・イン・ベルリン』の名演『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』のスキャットを聴いてみてください。長いですよ。
次に、7年後のテレビ番組で歌う『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』、途中まで全く同じスキャットです。
そして最後に、グラミー賞授与式で、マンハッタン・トランスファーと共にプレゼンターをつとめていますが、その際に本当に『即興で』スキャットしています。
どれも素晴らしいものですね。
最後に、1969年にエド・サリバンショーに出演したエラの映像をご覧ください。『Without You』で有名なポップス歌手、ハリー・ニルソンの曲『Open Your Window』をエラなりに歌っています。時代ですねぇ。
しかし信じられますか?実はこの時のエラのステージは、アメリカに上陸したばかりのローリングストーンズが『ギミー・シェルター』を歌った直後なのですよ。興奮冷めやらぬストーンズ目当ての若い観客にちゃんと聴かせることができるジャズ歌手って、凄いと思いませんか?