サラがお手本にしたのはビリー・エクスタイン!
そんな天性の歌声を持つといわれたサラでも、キャリアの途中でお手本にした形跡がはっきり分かる歌手がいます。
それはサラが若い頃に在籍していたバンドのリーダーであり、黒人男性スター歌手のビリー・エクスタインです。
ビリー・エクスタインはマイルス・デイヴィスの伝記によると、『Mr.B』と呼ばれ、見た通りの端正なルックス、またビジネスの交渉力に長け、演奏も歌も超一流、腕っぷしも強く、バンド関係者から大変恐れられていたそうですが、なぜかサラはとてもかわいがられていたそうです。
2人のデュエットのレコーディングを聴くと、まるで兄妹のように歌声や歌い回しが似ています。サラ・ヴォーンがどうやってサラ・ヴォーンになったかを知るなら、まずこの人から聴いた方が良さそうです。
1957年のデュエット曲、『パッシング・ストレンジャー』です。さしずめサラは、女ビリー・エクスタインですね。しかし、濃い×2だ。濃すぎる…。
こちらは1980年代、ビリー・エクスタインとの同窓会的な仲良しデュエットの様子です。
やんちゃな妹を、兄が(今でも)可愛がっている姿があります。4:00頃からです。
歌が上手(うま)い、というより、巧(うま)すぎる…。
彼女の歌を聴いていると、歌自体エモーショナルでとても感動的ですが、その反面、声のコントロールがこんなに凄いのよ私、というテクニカルな部分が曲によっては前面に出過ぎていて、少し嫌味な時があります。でも、確かにその分野では彼女を超えるジャズ歌手はいません。
ジャズ特有の即興をしているか、という部分に関して、サラのスキャットを取り上げてみると、彼女が曲中でスキャットしたり、ジャムセッションにミュージシャン達と参加している映像を観ている限り、同じスキャットを何十年もやっているところと、本当に即興しているところに分かれます。
(『I can't give you anything but love』や『Just Friends』のスキャット部分は、とてもかっこいいのですが、即興ではなく、フレーズが練りに練られた完璧なものです。いつの時代もこれらの曲を歌う時、ビッグバンドでもコンボバンドでも関係なく、サラは同じフレーズを寸分の違いもなく歌います)
しかし、どちらのスキャットも楽器としての声、というアプローチではなく、あくまでも『私の歌』の一部として表現している感があります。なので、ジャズ演奏の際の、あの特有のすっきりした発音の仕方と異なり、サラのスキャットはビブラートかけまくりで少しもたつき感があるのです。(エラのスキャットはもっと楽器寄り)
下の動画は『アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ』、それぞれ60年代と80年代の映像です。聴き比べてみてください。
こちらは、『ジャスト・フレンズ』。特にスキャットの部分を聴いてみてください。
地声と歌声にギャップがありすぎ(笑)。
また、ライブ映像でたまに彼女自身がMCをしている場面を見ることができますが、話し声と歌声にギャップがありすぎるのに気付きます。
話し声は、何というか、蚊の鳴くような小声でした!つまり、歌声は彼女の自然な声ではなく、『作ってる』のですね。そう言えば、ちょうどマイケル・ジャクソンや中森明菜(?)もそんなギャップを感じさせましたね。
彼女の歌声は、長いキャリアを誇るジャズシンガー達も同じ傾向にあるのですが、大抵、若いころの瑞々しい歌声から、歳をとるとドスの聴いた低音に変貌していきます。
それでもその歌声は衰えるどころか凄みと説得力、そしてサラの場合は神々しさが加わります。 それは、89年のクインシー・ジョーンズとの最後のレコーディング(彼女の死の一年前)まで衰えることはなかったと言っても良いと思います。
しかし残念ながら、その神様からの授かりものと称された声を、健康に留意しながら少しでも良いコンディションで長くキープしようとする意識が薄かったようです。ヘビースモーカーで有名だった彼女の亡くなった原因は肺ガンでした。その辺はまあ、とてもジャズミュージシャンらしいですね。
ビリーホリデイを除いて、ほぼ同世代のエラ・フィッツジェラルドやカーメン・マクレエの生没年と比較してみても、一番遅くに生まれ、一番早くに亡くなっています。
因みに、ニックネームは最初に挙げた『Divine One』の他に、『Sassy(生意気な)』、ステージ上の辛辣な塩スピーチのせいで『Sailor(水夫?)』と呼ばれていたところから推測すると、自分の才能を笠に着た、相当なタマだったと推測されます(笑)人間っぽい神様ですね。
DVD『サラ・ヴォーン&フレンズ(原題:Sass with Brass)』では、MCで「皆さんの中には、ここで何が起こっているのか、私が誰だかさっぱり分かってない人もいるかもしれないわね。念のために言っておくとね、私の名前は、デラ・リースっていうのよ。」と言って観客から笑いを取っていました。自分に知名度があるからできるジョークです。
最後は、サラのラストレコーディングとなった、クインシー・ジョーンズが世代を越えた選りすぐりのミュージシャンを集めて制作した’89年の傑作アルバム『BACK ON THE BLOCK』から、『セテンブロ(ブラジリアン・ウェディング・ソング)』です。TAKE6と共演しています。聴く限りでは、声はそれほど衰えていません。
歌声を聴く限り、サラは(病に倒れることがなければ)生涯現役を通そうとしたのではないか、と推測されます。