ジャズ界におけるルイ・アームストロングの偉大さをこれでもか!と語らせていただいた前回のブログでしたが、今回はそんなルイの演奏や歌のスタイルが、どうやって次の世代へと受け継がれていったのかをお話してまいりたいと思います。
今でも現役、ルイのジャズボーカル・スタイル
1930年代に巷を席巻したルイ・アームストロングの歌唱スタイルは、一時的流行で終わってしまったのでしょうか?いやいや、決してそのような事はありません。現代でもジャズを聴けば、ルイの作ったスタイルが息づいていますし、もちろん私、鈴木智香子もステージでは80年前とほぼ同じスタイルで歌っています。それは何故なのでしょう?
それはある歌手がそのスタイルを取り入れたとしても、自分の個性を損なわず(もの真似になることなく)むしろ各歌手の個性を際立たせる形で、自分のオリジナルで何万通りもの歌い回しができてしまう、という汎用性の高さ、つまりすそ野の広さが半端じゃないのが、ルイのジャズボーカル・スタイルだからなのです。こういった、始めにひな形を作った人を、ジャズでは『スタイリスト』と言って、その影響を受けたミュージシャン達から大変尊敬されています(対語は『フォロワー』。)。
空気で伝えられたジャズ・フィール
ルイの全盛期1930年代当時は、ラジオ、街中のバー等では、四六時中ルイ・アームストロング・スタイルのジャズの音が溢れていました。乱暴な言い方かもしれませんが、そんな環境の中、日々演奏を聴いていれば、感覚的にジャズのリズムやセンスが自然に入ってくる、そんな時代だったのです。
今となってはそのような恵まれた環境は望めませんが、少なくとも、その後スター歌手となったプレイヤーやボーカリスト達は、そういった環境の中で青春時代を過ごしていました。
カーメン・マクレエはインタビューで、子供の頃、ラジオからジャズ演奏が流れてくると、かならずラジオに耳をくっつけて聴いていたと答えていました。そもそも、ルイ・アームストロングも含め、当時のミュージシャンの多くは楽譜が満足に読めなかったと聞いています。ジャズフィーリングを体得するには、理屈よりも、主に感覚や経験の方に依っていたということでしょう。 今回は、そんなルイの歌唱スタイルを確実に受け継いだ、代表的な歌手達を少しご紹介いたします。
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)
それでは、やっと本題に入ります。最初に挙げる歌手は、ビリー・ホリデイです。彼女は『ジャズボーカリストの最高峰』と称されているだけでなく、ジャンルを超えて『ポピュラーミュージック史上最高の女性歌手』と言われています。ジャンルを超えて彼女の『フォロワー』は今だに後を絶ちません。
幼少の頃のビリーは、街の娼館(!)で、当時は珍しかった蓄音器で、これまた当時大変高価で貴重だったルイのレコードを夢中になって聴いていたそうです。そんな環境で育った彼女は、ルイ・アームストロングの歌唱法をさらに発展させ、娼館や安酒場などの『場末のエンターテイメント』であったジャズボーカルというジャンルを、芸術の域まで高めることとなりました(でも本人的には、ただ仕事として歌ってただけでそんなつもりは毛頭なかったみたいですが)。
彼女の凄絶な生い立ちや男性遍歴に、彼女が歌う歌の内容(大抵は恋に破れて絶望してる歌)が絶妙にマッチしていたりして、そういった部分も多くの聴衆の共感を呼び起こす一因となりましたが、中でもとりわけ多くの聴衆の耳を釘づけにしたのは、彼女独特の歌の表現法でした。その歌声には派手なビブラートがかかっておらず、抑えた表現の中に奥行きのある情感を生み出しています。
フランク・シナトラ(Frank Sinatra)
次に紹介するのは、フランク・シナトラです。15年を経て同じ曲をレコーティングしていますが、歌唱法が異なっているところに注目です。
- 『Night & Day』フランク・シナトラ(1942)美声を売りにしていた若い頃。ミュージカル的な歌唱法。
- 『Night & Day』フランク・シナトラ(1957)よりジャズ的な歌唱法。前者の歌声と比べると声にザラつきが感じられるが、ダイナミックさが加わっている。ジャズ歌唱によってシナトラは独自の歌のスタイルを確立させた。
一般的には、『マイ・ウェイ歌ってる人』として有名なフランク・シナトラですが、これらの歌のスタイルの変遷を聴き比べてみると、やはりルイ・アームストロングから強い影響を受けたと思われる歌手の一人です。
このように、50年近い歌手人生の中、『マイ・ウェイ』も含めて時代とともに歌唱スタイルを変えてきたフランク・シナトラを純粋なジャズボーカリストと捉えるか否かは、いろいろ異論もあるようですが、後者の時代の歌はジャズ唱法を取り入れて歌っています。
因みに前者の時代はアイドル歌手としてアマーイ声を武器に、主に女性ファンに支持されていたようですが、その後ロックンロールに押されて仕事が激減したり、かつてのソフトな美声が出なくなってしまったりなどの不遇の時代を経て、やがて後者の力強い歌声とストレートな歌唱スタイルでカムバックを果たし、男性ファンまでも獲得して人気を不動のものにしました。
シナトラは、ルイの歌唱スタイルを取り入れ、そこに自身の味である男のダンディズムをブレンドさせ独自のスタイルとしただけでなく、商業的に、アメリカのエンターテイメント界で、大スターのステージが大金を稼ぎ出すビジネスモデルを作り上げることにも成功しました。(生前、帝国ホテルで催されたシナトラのディナーショーは、一席15万円の超破格値だったというお話もあります)。
ビリーVSルイ、シナトラVSルイ
とにかく、シナトラがこのジャズスタイルにシフトしなかったとしたら、当時の耳心地の良い歌を歌う流行歌手の一人としてすっかり過去の人になっていて、後世に残る名声を得られずにいたことでしょう。それが証拠に、ジャズの名盤を数多く残したキャピトル(レコード会社の名前)時代のシナトラのアルバムはどれも名盤と称されています。
最後に、こんな動画をご覧ください、ルイ・アームストロングをまるで父のように慕っていたと言われている、若きビリー・ホリデイとの映画共演のほほえましい1シーン、そして、とあるTVショーで、ルイとデュエットしてるシナトラの様子です。シナトラも素晴らしいですが、やはり年季の入り具合と迫力ではルイの方に軍配が上がっている気がします。
【今日のワンポイント】
ルイ・アームストロングに影響を受けなかったジャズボーカリストはいない。(ルイの影響を受けていない歌手はジャズボーカリストではない!)。